いつものように救急患者が搬送されてきた。
交通事故で意識不明の重体女性。運転手の男性は即死。
連絡を受けた僕はオペ室に入った瞬間、頭が真っ白になった。
「血の気が引く」というのはこういうことをいうのだろう。
オペ室の中央のベッドに横たわっていたのは、十数年前に僕が密かに想いをよせていた女性だった。
昔と名字が違っていたから、運転手の男性は旦那だったのだろう。
当時の想い出が走馬灯のようにかけめぐる。
だけど、僕は救命病棟の医師として、この目の前の患者を助けなければならない。
絶望的な状況、意識を取り戻したとしても、おそらく元のような健康体ではいられないだろう。
かつての想い出も、彼女への気持ちも、全てを意識の外に追い出して、
ただただ無心に僕は僕の仕事をこなした。
淡々と死因を説明する僕と、初めて見た彼女の両親。
霊安室から患者を送りだし、僕は病棟に戻る。
手は尽くした。でも、助けられなかった。
「なぁ」
電子カルテに向かって忙しそうにしている同僚に声をかける。
「なんだっけ、ちあきなおみの有名な…」
「喝采だろ?なんだよ、急に」
同僚が訝しんだ表情でちらりと僕を見る。
「いやあ、最近物忘れがひどくってな。年だな、俺も」
そう言って僕は笑った。
いつも患者にするような作り笑顔で。
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この歌をイメージして書きました。
ちあきなおみ『喝采』
歌詞(うたまっぷ)
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